MTGの「上手さ」って 後編
2014年9月7日 TCG全般さて、人格である。
そもそも「情報」とか「経験」とか言う前に、MTGは「対人」ゲームである。
血を通わせる人と人とがやるゲームで、紳士的かつフェアに行うのが正しいプレイヤー像というものだろう。もちろん、開始の挨拶とにこやかな笑顔も忘れずに。
というのをわりと本気で思っているのですが、もう少しツッコんで人格とMTGについて考えてみますと、優しい人はMTGに向かないようです。向いているのは、いきなり手の平をクルフィックスするようで恐縮なのですが、「嫌なヤツ」でしょう。
なぜなら、MTGの良いプレイというのは「相手が嫌がることをする」と抽象化出来るからです。つまり、相手の気持ちに立ち、その人が一番嫌がることを嬉々として行う。そんな倒錯したサド野郎がMTGに向いているわけです。現実生活に見直すと、とんでもないですね。とてもお近づきになりたくない人種です。
一方優しい人は、
「ここでアタックしたら相手のライフが0になってしまうな……かわいそうだからやめておこう」
「コンバットトリックを使えば相手の《灰色熊》を一方的にやっつけれるけど、それはあんまりだからここは相打ちにしておこう」
となり、MTG的に考えますと生まれた時からディスアドです。
じゃあやはり、はじめたての初心者が初めて買った「トーナメントパック」から出た《神話的体形》ONSを《栄光の探究者》ONSに震える手でエンチャントしようとするのに歯を剥き出したキシシ笑いで《ショック》ONSを撃つプレイヤーがMTGの理想的なプレイヤーなのでしょうか?
私はそうは思いません。
確かにあるレベルまでは上のような「嫌なプレイヤー」が強さを発揮すると思います。ですが、これは小手先で勝ったり、弱者を食いものにしているだけで、一線級のプレイヤー群の中では通用しないプレイヤーということになります。余計なことに気がいっている分、思考のメモリを無駄遣いしているのです。
プロツアーなどで活躍するプレイヤーは決して低いレベルでの「嫌なプレイヤー」ではなく、立派な人格を持った「嫌なプレイヤー」でしょう。知り合いがいるわけではないので、もちろん、おそらく、ですが。
その人格は横のつながりを持ち、「情報」と「経験」を共有し、また敗北した時も決して他人のせいにせず、謙虚な気持ちでそれを受け入れ、次に活かすでしょう。
そんなプレイヤーが強くないわけがありません。
そもそも「情報」とか「経験」とか言う前に、MTGは「対人」ゲームである。
血を通わせる人と人とがやるゲームで、紳士的かつフェアに行うのが正しいプレイヤー像というものだろう。もちろん、開始の挨拶とにこやかな笑顔も忘れずに。
というのをわりと本気で思っているのですが、もう少しツッコんで人格とMTGについて考えてみますと、優しい人はMTGに向かないようです。向いているのは、いきなり手の平をクルフィックスするようで恐縮なのですが、「嫌なヤツ」でしょう。
なぜなら、MTGの良いプレイというのは「相手が嫌がることをする」と抽象化出来るからです。つまり、相手の気持ちに立ち、その人が一番嫌がることを嬉々として行う。そんな倒錯したサド野郎がMTGに向いているわけです。現実生活に見直すと、とんでもないですね。とてもお近づきになりたくない人種です。
一方優しい人は、
「ここでアタックしたら相手のライフが0になってしまうな……かわいそうだからやめておこう」
「コンバットトリックを使えば相手の《灰色熊》を一方的にやっつけれるけど、それはあんまりだからここは相打ちにしておこう」
となり、MTG的に考えますと生まれた時からディスアドです。
じゃあやはり、はじめたての初心者が初めて買った「トーナメントパック」から出た《神話的体形》ONSを《栄光の探究者》ONSに震える手でエンチャントしようとするのに歯を剥き出したキシシ笑いで《ショック》ONSを撃つプレイヤーがMTGの理想的なプレイヤーなのでしょうか?
私はそうは思いません。
確かにあるレベルまでは上のような「嫌なプレイヤー」が強さを発揮すると思います。ですが、これは小手先で勝ったり、弱者を食いものにしているだけで、一線級のプレイヤー群の中では通用しないプレイヤーということになります。余計なことに気がいっている分、思考のメモリを無駄遣いしているのです。
プロツアーなどで活躍するプレイヤーは決して低いレベルでの「嫌なプレイヤー」ではなく、立派な人格を持った「嫌なプレイヤー」でしょう。知り合いがいるわけではないので、もちろん、おそらく、ですが。
その人格は横のつながりを持ち、「情報」と「経験」を共有し、また敗北した時も決して他人のせいにせず、謙虚な気持ちでそれを受け入れ、次に活かすでしょう。
そんなプレイヤーが強くないわけがありません。
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